17歳へのエールと思い出 その2

前回の記事「17歳へのエールと思い出 その1」の続編です。

私の両親は、子どもにはどちらかというとやや厳しめだったように思います。
特に母親は自分の子と他人の子を分け隔てなく叱るタイプだったので、一時期友人たちが私の母を恐れてうちに遊びに来なくなったこともあるくらい(笑)。私からすると普通なのですが、他人の親に叱られた経験がおそらくなく、富山の子どもたちに関西弁丸出しで叱るのは実際よりも恐ろしく感じたのでしょう、、。


(つづき)
私は何せ出来の悪い小学生だったので、いろんな習い事(算盤、書道、公文など)に通わされました。
そして、泣いて嫌がっても親が良しと言うまでは絶対に辞めさせてくれなかったので、物事を最後までやり通すということはこのときに身についたのではないかと思います。
中学に入って親の反対を押し切りテニス部に入ったときは、他の部員よりも頭一つ分小さな体でトレーニングにはついていくことができていませんでしたが、辞めるという選択肢ははじめから持つことすらなかったです。
今も、基本的にその考えに変わりはありませんし、二度目の大学と国家資格の取得などは、このときのおかげかなと思っています。

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前回記事の生徒さんの話に戻しますと、その生徒さんが進学される専門学校はその専門性の高さ故に学生生活は決して楽ではないようです。
なのでその点が心配とのことでしたが、自分で決断されたことなので是非がんばって最後までやり通して欲しいと願っていますし、きっとできると信じています。

17歳という若い年齢で自分の進路を真剣に考えて、専門性の高い分野を目指されることは本当に素晴らしいことです。
そんな話を聞いていると、自身の子どもの頃のことを思い出したので、つらつらと書いてみたくなりました。最後までお読みいただき、ありがとうございました!