17歳へのエールと思い出 その1

高校3年生の生徒さん、最近まで進路で悩んでおられたようですが、ある分野の専門学校への進学を決意されたそうです。国家資格を目指す、かなり専門性の高い分野です。これから受験とのことなので、是非頑張って欲しいと思っています。
そんな話を聞いていると、ふと自分自身の昔を思い出したので書いてみようと思います。


(つづき)
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私の高校時代というのは、とりあえず生まれた街の京都に帰ることしか考えていなかったことや、1,2年の頃にテニス三昧の生活を送ってしまったせいか、入学直後の頃はある程度余裕もあったはずでしたが、気づけば成績も徐々に落ちて並かそれ以下になってしまっていました。
というわけで、結局何のビジョンも持たず学校推薦で一度目の大学へ入学することに…。

私は小学生の頃に一家で京都から富山県へ引っ越したのですが、当初は数年で戻ると教えられていました(本当にそのつもりだったのか、もしくはショックを和らげるための愛情だったのかは不明)。
なので、京都弁を忘れないため精神的にもかなり無理して死守し、高校も京都の高校に進学できると思い込んでいた時期もありました。
どうやら違うらしいというのがわかったのは、親が借家から新築の家に引っ越すと言い出したときでした。
高校入学と同時に引っ越し、すでに気持ちの切り替えもできないので、単身で京都に帰らなければならず、おそらく家族の誰も戻ってくることはないだろうということを実感した時期でもありました。
それでもまだ、とりあえず適当に関西の短大か大学に入れば何とかなると思っていたのですが、いざ大学に入ってみると、寮の先輩たちは就職氷河期の最中に毎日就職活動、、。
文系女子大、資格なしというのは本当にマズいと実感した出来事でした。
そして、この頃に、今も後遺症の残ってしまっている右手人差し指の怪我をしてしまったことで、字をたくさん書くような事務職や、細かい手作業の仕事は難しくなりました。
これからはパソコンだと思い、寮の先輩に今は懐かしいワープロをお借りして文書処理能力検定などの資格試験のために毎日練習をしました。(いちおう2級まで取りました。当時、一緒に受験して最終的に2級まで取れたのはごくわずかでした。)
その後、無事IT系企業に就職して6年ほどプログラマを経験しているのですが、いろいろあって通信で福祉系学部へ再入学、卒業して福祉施設への就職が決まった矢先に事情があって没になり、今に至るというわけです。
その間、娘の出産も経て2年前にようやく社会福祉士の資格も取ったことは、長年ご愛読くださっている方はご存知だと思います。

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高校生のその生徒さんは、「先生ってほんとすごいですよね」と言ってくれます。
ただ、私の高校時代というのは、その生徒さんのように専門職を目指す高校生とはかけ離れた、適当な考えの持ち主でした。そのため、今思えばずいぶん遠回りをしてしまったと思います。
転機になったのは、やはり危機感かなと思います。
そして、ポイントはもう一つあると思うのですが、長文になってしまったので次の記事で簡潔(??)に記したいと思います。